おはようございます。管理人のsatoiです(*ˊᵕˋ*)੭
今日は「妻」と「うーさん」にまつわる話をしていきます。
私なりに文章はまとめていきますが、妻のうーさんを愛する気持ちが
少しでも伝わってくれればと思いながら、打っていきますね(ღ˘ㅂ˘ღ)
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うーさんに初めて出会った時は「こんなに可愛い動物がいるなんて」と
驚いたものでした。しかも一緒に暮らせるなんて夢のようで・・・
とにかく、とてもとても嬉しかった。
だから、とっても大事にして飼っていきました。
小学生から大学生1年生になるまでの約9年間を共に暮らしてきましたけど、
思いつく限り、出来る限りの事を精一杯してきたんです。
うーさんが小さい頃は一緒に遊ぶことが、とても良いことだろうと
思い、いろんな場所へさんぽに連れていきました。
れんげ畑とか、大きな池の公園とか、田舎にも一緒に帰省したりとか、
喜んで遊ぶ姿を見るのが、とっても嬉しくて楽しかった記憶があります。
🐰
うーさんが中年になると遊ばなくなったけど、学校から帰ると必ず
うーさんのところへ行って一緒に過ごすことが、凄く癒しになりました。
中学の頃はいじめられていたので、うーさんがいてくれて本当に良かったと
思ってます。うーさんに助けてもらったと今でも思ってます。
それから学校に登校できなくなった時、一度担任の先生が
自宅に訪ねてきてくれて、雑談の中でをうーさんの話をしました。
それでも学校へ行けなかったのですが、
また先生は訪ねてきてくれて、その時に「うーさんは元気?」と
言ってくれました。それがとても嬉しくて今でもよく覚えています。
その後、卒業式だけは出席することが出来たのは、
その一言のおかげだと思ってます。
🐰🐰
高校に入ってからは沢山の良いお友達が出来て、
その話も、うーさんにしてあげました。
うーさんは小さい頃から抱っこさせてくれる子だったから、
一緒にお昼寝しながら沢山の時間を過ごしてきました。
特に覚えているのは寒い冬にベランダにいたうーさんを自分が着ている、
半纏の中に入れてあげて耳が温かくなるまで撫でてあげたこと。
気持ちいいのか半纏の腕の中で寝てしまう、うーさん。
私もつられて一緒に寝てしまうのがとても幸せに感じていました。
今でも冬になって半纏を着ると当時のことを思い出します。
🐰🐰🐰
大学生1年生になってからは凄く忙しかったんですけど、
変わらずに、うーさんと楽しい日々を過ごしていました。
9年目の夏になり食欲が減ってきて、初めて動物病院につれていきました。
先生に事情(今は9歳でご飯をあまり食べない)と話をしたら、
とても驚かれて「それはもう寿命だね」と言われました。
その時初めて、うーさん・・・そうなんだと思いました・・・
一応、点滴を打ってもらいましたが、少し元気になっただけで、
またご飯を食べなくなってしまうんです。
その年の暑さに心配して念のために、ベランダからお風呂場にケージを
移して飼っていました。が、
どうしても断れない民宿のアルバイトを泊まりで行くことになり、
自宅にいない時に、うーさんは自宅で息を引き取ってしまいました。
妻はその時、アルバイト先でとても嫌な予感がしたそうです。
うーさんの最後は両親に看取ってもらい、旅立ちました。
帰ってきた妻は自宅のお庭に「うーさんのお墓」を作ってあげて
今でも、実家へ帰るとお花やお線香をあげたりしています。
初めて一緒に暮らした「うさぎ」のうーさん。
大きな病気もしないでずっと一緒にいてくれて
感謝の気持ちでいっぱいです。今でもうーさんは特別な存在です。
以上で、
「うーさん」のお話は終わりになります。
私が聞いた、うーさんの兎生は本当に幸せだったと思います。
昔は飼い兎でも長生き出来ずに死んでしまう子が多かったので、
うーさんは昔にしてみれば大往生だったと言えます。
でも、「長生き=幸せ」ではなく、
生きている間に、どれだけその子に愛を注いだかが、
とても大事だと私は思っているので、うーさんは本当に幸せな
兎生を過ごしたんだね。と思いました。
🌟🌟🌟
次回で、うーさん記事は最終回。
リアルタイムで現在残っている、うーさんの思い出の品を
ご紹介していきます(´。•ㅅ•。`)♡